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年・月・日・時間の四本の柱による占術
窈鳳(Youhou)の開運四柱推命縁談・転職・出世等の俗に言う「勝負は時の運」は、本当です。 |
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運命は変えられる!”開運四柱推命”四柱推命とは、生まれた年・月・日・時間の四本の柱による占術です。 |
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小林窈鳳(こばやし ようほう)■昭和22年 石川県鶴来 白山ヒメ神社近くにて生まれる。 |
雨寶(うほう)通信 5月号 NO.57 [耳よりニュース] ■ 鬼子母神(きしぼじん)古代インドの神話です。 とても気性の荒い凶暴な女性がおりました。悪魔パンチャカの妻で名を鬼子母といいました。二人の間には500人の子がおりました。 鬼子母は、子たちを養う為に、夜ごと、人間界に降りては、幼児をさらい食い殺すという残忍な行為を繰り返していました。 愛児を失くした親たちの嘆き声はついに、霊鷲山(りょうじゅせん・インド東北の山)で説法しておられた釈尊(釈迦)の耳にまで届きました。 鬼子母は多くのわが子を溺愛していましたが、その中でも特に末っ子のピンガラを愛しておりました。釈尊は、このピンガラを、ご自分の手元に隠してしまいました。 鬼子母は、末っ子がいないので、7日間というもの気も狂わんばかりに捜しまわりました。万策つきた鬼子母は、遂に釈尊のもとをおとずれ尋ねました。 釈尊は静かに答えました。 「汝には、たくさんの子どもがいる。一子を失ったくらいで何故、そんなに悲しむことがあるのか? 人間にはたった一人の子どもしか持たぬ親もある。天にも地にもかけがえのない大切な子を、汝は殺してしまったのだ。」 鬼子母は、身を小さくして 「私が身勝手でございました。ピンガラが戻りましたら二度と罪を犯しません。」と謝りました。 釈尊はご自分の鉢を取り出して鬼子母に中を見せました。そこにはピンガラがニコニコと遊んでおりました。しかし、母の許へ帰ろうとはしませんでした。ピンガラは出て来ません。鬼子母は、遂に泣きだしました。 鉢とは、僧が施しを受ける際に必ず持参するものです。 大切な食糧を盛る容器ですから、慎重に取り扱わねばなりません。破損した場合は修理して使いました。捨てる者があれば、厳しく処罰されました。 生命の源を盛る鉢を大切にするのは、すなわち命を大切にするということです。ピンガラには、釈尊の鉢の居心地がとてもよかったのでしょう。 釈尊の教えとは、心の食糧であって、心の滋養となるものです。 鬼子母は、神通力を使ってもピンガラを取り戻すことが出来なかった、つまり、釈尊の教えが自分の心に沁みこんでいなかったからである…そのことに気がついた時、鬼子母は静かに釈尊の説法を聞き始めました。 氷のような、鬼子母の心は次第に溶け始め、豊かな愛に満たされていきました。気がつくとピンガラは鬼子母の膝で眠っておりました。 この後、鬼子母は、女性と子どもを守護する神となりました。 鬼子母神(またの名を訶梨帝母・かりていも)といいます。 容姿は穏やかで極めて美しく、玉のような赤子を胸に抱き、吉祥果(きちじょうか)を手にしています。吉祥果とは、子孫繁栄・多産の象徴といわれています。 子育てを通じて親は多くの事を学びます。 次の世代に、美しい地球を渡せるよう努力しましょう。 |
よもやまばなし [耳よりニュース] ◎ 処世訓今年、世界の多くの国が、変革期を迎えようとしています。 とても強引なやり方で先進国の仲間入りを果たした中国は、この後、食糧に関して外交の壁に苦しむことになるでしょう。そして、はるか以前に忘れ去った道徳の美しさを思い出すことになるでしょう。 中国にはかつて、儒教・仏教・道教の三つの思想がしっかりと根を張っておりました。そして、今から400年前の明代に、三つの思想を取り入れた360条からなる処世訓が出来ました。洪自誠という学者が書いた『菜根譚・さいこんたん』という書物です。 世渡りの強い味方として中国で広まり、やがて世界中に広まっていきました。 日本には江戸時代の終わりごろ伝わり、その後多くの有名人に愛読され、処世哲学書として、迷える現代人にも読まれるようになりました。 昨今では、中国よりも日本で広まっており、これは良い現象なのかどうか判断が別れるところです。なぜなら、苦境を前提に書かれているような所があるからです。 菜根譚という名前は 『人よく菜根を噛みえば、すなわち百事なすべし』 固い菜根を噛みしめるように、苦しい境遇に耐えることが出来れば、人は多くの事を成し遂げることが出来る……という意味があるからです。 日本に古くからあることわざや、教えにも共通するところがあって、今の日本人にはすんなりと吸収されやすい書物です。 私が若い頃、裏の家に一人暮らしのお婆さんが住んでいました。人の生活状態は、その家の洗濯物をみればよく判ります。そのお婆さんは、下着にお金をかけていて、ご近所でも評判になる程、優雅な暮らしをされていました。銀行の金利が9%もあったころのことです。 今、彼女と同年代になりましたが、団塊の世代はとかく邪魔者扱いされ、若者からは疎ましく見られるようになりました。優雅な暮らしなど、夢のまた夢、日々、身の丈暮らしに徹しております。 菜根譚を読んでは、「人の心は満ち足りることがないんだ、現状に満足せよ…」と自戒しています。 政治が悪いのか、選挙権を取り違えたのか、なぜか日本はこうなってしまった… それでも人は生きていかねばならない。 写真は 九度山の紀ノ川畔の桜です。 |
雨寶(うほう)通信 4月号 NO.56 [耳よりニュース] ■ 天六ガス爆発事故昭和45年(1970年)、大阪で万国博覧会が開催されました。同じ年、大阪の天神橋筋6丁目(通称天六)で大きなガス爆発がおこり、死者79名・重軽傷者420名という大惨事となりました。 当時、私は23歳、都島の繊維会社に勤めておりました。当日は4月8日の灌仏会(釈迦の降誕を祝う日・花祭り)の日でした。 同じ会社に勤めていた姉は6月に挙式を控え、退職も間近かでした。梅田で買い物をしたいというので、5時過ぎに揃って会社を出ました。そして会社の前から市バスに乗り梅田へと向かったのでした。 10分程で天六にさしかかったのですが、最初のガス爆発の直後で、大勢の野次馬が集まっており、ひどい渋滞の為に、バスは動けなくなってしまいました。 私たちは、何が起こっているのか全く知る由もありませんでした。運転手は、若い男性でしたが、10人ほどの乗客に、ふたつのバス停をノンストップで梅田へ直行すると告げました。 一人も降ろすことなく、正規のルートを無視して、クネクネと裏道を通り抜け、やがて梅田に到着したのです。他のバスがどうだったのか思い出せないのですが、私たちのバスはこうして無事に目的地に着くことが出来たのです。 梅田では、のんびりと買い物を楽しみ、帰路につきました。その間、会社の人事部からは安否確認の問い合わせが、家に何度もあり、両親は心配で寿命が縮んだと言っておりました。テレビでは大きく報道されていたらしいのですがケータイもない時代のこと、まったく申し訳ないことでした。 当時、天六の現場では、地下鉄谷町線の工事が行われ、オープンカットという工法で露天掘りされた地面には、ガス管や水道管がむき出しとなっていました。それを、400キロもある、コンクリートと鉄で出来たブロックで覆っていました。 ブロックの大きさは畳1枚くらいあり、道路はすべてこのブロックが敷かれていました。地中からはガスの臭いがただよい、火の気厳禁だったにも拘らず、二度目の爆発は起こってしまいました。 威力は相当なものだったということで、敷かれたブロックの多くが宙に舞い、凶器となって大勢の人々や、立ち往生していた車に襲いかかりました。あたり一面は肉片と血の海になったということです。 亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 あの時、規則通りに渋滞の中でとどまっていたら……と思うとぞっとします。 運転手さんの臨機応変に感謝です。危機を察知する直感力をお持ちだったのでしょう。 また、徳を積むということを、私たちの御先祖がされていたかもしれない、両親がいつも無事を祈ってくれていたかもしれない…。見えない力に感謝です。 『家を一歩出て、そして無事に帰るということは、決して当たり前のことではない』ということを学びました。 この事故のあと、ガス管の機能は大幅に改良され、地下鉄工事はシールド工法となりました。 今年も4月がやって来ました。生かされていることを強く感じます。 図は、白蓮の上に座して説法しているという釈迦如来です。 身色は黄金にして32相(仏の身体の32種の瑞相)を備え、その手は説法印をとるとなっています。 |
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